だれのためかな

多分、誰かのために死ねるけど、誰かのために生きることはできないと思う。

甥と姪を自分の命より大事だと思う。万一何か不測の事態がおきて、代わりに死ねと言われれば死ぬだろうと思う。

姉は、私が甥姪に向ける感情が無償の愛に見えるという。

でも、どうしても生きていたくなくなったとき、彼らのために生きることはできないんだろうな、とも思う。

だから多分、彼らのためになら死ねると思うのも、全部自分のためなのだろう。

彼らを失って生きる事のほうがきっと辛いと感じている、自分のため。

エゴだ。わかっている。結局私は私のためにしか生きられない。

……違うかな。私のためにですら、きっと生きられない。私はたぶん抗わない。

死にたいと思うことは実はそんなにない。死にたくない、と思うことも、そんなにはないけど。

生きていたくないとも、いまのところは思っていない。

誰かのためでも自分のためでもなく、生きているからまだ生きている。

といいつつ、死にそうになったら死にたくないと思うのだろうか。

そういう状態になったことがないからわからないだけで、生きることにしがみつきたくなるのだろうか。

甥姪が幸せに生きている姿を見ていたいとは思う。

だけどそこに私が居る必要はないんだよな、とも思う。

まあ、別に、死にたいわけじゃない。

仕事もあるし、家族もいるし、少ないけど友人もいて、わりと楽しく生きている。

誰のためでもなく生きていけるから、たぶん、恵まれているんだ。

だからまぁ、生きていたくなくなる日がくるまでは、生きているつもりである。

それがもし50年後とかでも。どうかな。これからの自分がどう考えるかなんてわからないけど。

 

帰宅して、ドアをあけて、私を見つけたかわいい子がぱっと笑顔になって向かってくる。抱っこして、と体全体で言いながら走り寄ってくる。

これを幸せだと思う。

そうだね、君がもう少し大きくなって、叔母の抱っこがいらなくなるまでの間は、生きていたくならないといいなと思っているよ。